言葉を伝える

最近、One-on-Oneというコミュニケーション方法がビジネスでも取り入れられています。
上司と部下が1対1で対話をする方法です。 日々の業務や仕事への取り組み方などコーチングしていく。しかし、どうしても上司はダメ出しをしてしまい、返ってモチベーションを下げてしまうケースがあります。 コロナ前は飲み会や食事会を行って、コミュニケーションを取る方法が主流でしたが、いざ会議室で面と向かって喋ると、もっと頑張んないとダメだよ!とついつい仕事モードで話してしまいます。 そこで、お互いの生い立ちや趣味の話をして仕事の話はしない。。 それが案外、上司と部下の人間関係を築いて、結果的にスムーズに仕事が進むと言う事例もあります。

昨日NHKを見ていたら、重度の障害者のコミュニケーション方法をドキュメンタリーで放送されていました。 肘から下の手と視力を無くした80歳のおじいさんが、キーボードを打ったり、ハーモニカでベートーベンを吹いたり、器用に楽器を扱っている映像に目を奪われてしまいました。 このおじいさん、ちょうど終戦後、小学2年生の時に、川で不発弾を見つけて遊んでいたら爆発して手と目を失いました。一緒に遊んでいた弟は、その爆発で亡くなってしまったという。 兄の自分が障害を抱えて生き残ったが、周囲の親切や励ましすら受け入れられず、3年ほどは自暴自棄になっていました。ある看護師さんが読んでくれたハンセン病で苦しんでいる患者さんの本を聞いて、自分よりもっと辛い人がいると気づき奮起します。 手が無いから点字が読めない。 点字が読めない子供は養護学校に入れない。 そんな彼がとった行動は、唇で点字を読むという方法でした。 最初は、ツルツルとザラザラしか分からなかった点字が、毎日毎日朝から晩まで唇でなぞることで、一語一語違いが分かるようになり、その一語一語が次第に文章になっていったと言います。 学校に行って学びたい、昭和30年代の日本ではまだまだ養護学校の制度がしっかり確立されておらず、点字が読めなければ授業も受けられない、それを唇だけで卒業し、教員になろうと障害者であることを内緒に通信制の大学で教職免許を取得。当時は教員採用試験は点字で受けさせて貰えなかったが、2年間教育委員会に通って、特例で点字での採用試験を受けさせてもらい、健常者より高い点数で合格。 32歳で養護学校の教壇に立つことが出来たと言ってました。 ある生徒が、この先生に「本当に手が無いの?」と聞いて来たと言う。先生は、じゃあ触ってみなと言って、この生徒に洋服で隠れた自分の腕を触らせました。 生徒は、手が無い先生にビックリして、じゃあ僕はもっと勉強を頑張らないと行けないね!と笑顔で返したという。
おじいさんが一言、「もし私が普通の先生だったら、この生徒に勇気を与える事が出来なかっただろう。」
2年前に奥さんに先立たれ、2人の息子は社会に出て、家にはこのおじいさん一人。
毎朝パソコンを使って、音声で社会の情勢やニュースをチェックするのが日課になっているという。
今でも年に数回は学校の教壇に立って授業を行っている。
ある生徒から、この世界には差別というものは無くならないのですか?
その問いに、差別はあります、しかし無くそうとすれば、将来もっと住みやすい社会になる。その困難に立ち向かう事が、楽しいのです。

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