大黒柱

一家の大黒柱と聞くと、今時古い考えですねっと言われてしまいますが、一家を支えるとなればやはり父親を連想する人が多いでしょう。 先日、当社社員の父親が亡くなられお通夜に参列してきました。 那須工場の社員さんということで、私が住んでいる地域と違い、地方ということもありご親族が40人ほどいらっしゃる中、30代後半の若い彼(社員さん)が喪主であり施主でもありました。 私も喪主と施主の違いを知らなかったのですが、喪主は葬儀を執り行う責任者で、遺族の代表として挨拶する人。 施主は葬儀の費用を負担する、経済的にサポートをする人。 大体は、喪主と施主は同じ人が行いますが、昔は故人の配偶者(妻)が施主となり、長男が喪主をやるケースも多かったようです。 葬儀の役割は別として、お通夜に参列し、涙ながらに話す喪主の挨拶を聞いていましたら、長男としてこれから一家を支えて行く覚悟と言いますか、責任感をすごく感じました。 最近では核家族化が進み、親族との繋がりが段々と希薄していますが、まだまだ地方ではこれだけの親類が集まること、またその中で自分自身が一家の家長として、妻や自分の子供たちだけでなく、親や兄弟たちの面倒を見て、金銭以外でもサポートしていくことが、家族の中の大黒柱なのでしょう。
最近話題となっているファミリービジネスの講義を私も受ける機会が増えましたが、ファミリーとして事業の成功と継続もさることながら、本当の意味でのファミリーの役割として、如何に家族・親族、一族の繁栄を考え、次の代に繋いで行くことが重要なのだと教えられます。 若い頃は自分のことだけでいっぱいいっぱいであり、家族のことはただ漠然としか考えていなかったり、自分の夢に向かって必死に仕事や勉強に打ち込んでいる若者も多いでしょう。 それでも、結婚式や葬儀のような冠婚葬祭が必要なのは、一族の繋がりを絶やさないこと、より深く関係を築くことの大切さを知るために、必要な文化として受け継がれているのでしょう。
今回参列させていただき、彼の優しさと心強さを感じることができ、悲しみもあるでしょうが、また一つ成長した姿で活躍してくれることと感じています。 自分が成長する機会というのは、自分の受け止め方、感じ方ひとつで変わります。 私自身も様々な経験と色々な場に出ることで、少しづつですが人として成長できているのだと感じます。 そのことをまた自分の周りの人たちへ伝え、一緒になって成長できることが必要と思います。 翌日、那須工場の朝礼に出ましたら、朝礼の司会者が今日の感謝を伝えましょうと、毎日指名された一人が同僚の誰かに感謝を伝えている姿がありました。 その姿を見ている我々にとっても、心の成長に繋がりますね。

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